作品についてMessage
私は40代の頃、暇さえあればテニスをしていた。テニスで知り合ったKさんとダブルスの大会に参加すると、勝つこともあれば負けることもあったが、コンビネーションはよく互いの不得意なショットを補える関係だった。Kさんとは、テニスコートを離れれば居酒屋で飲みながら語り合い、二次会では静岡市葵区両替町のライブハウス「ケントス」に顔を出してツイストなどを踊り、日頃のストレスを発散していた。次第にレギュラーバンドである「フルハウス」のメンバーとも話すようになり5年が経過した。
50歳の頃から高校時代まで勉強していた油彩画を勉強し直そうと思い、美術予備校で石膏デッサンや油彩画に取り組んだ。
58歳になった頃、「フルハウス」の女性ボーカルのあやさんに私の描いた絵の写真を見せながら、「あやさんを描いてもいい?」「描いてもいいよ」と会話を交わし、あやさんの歌い踊る姿を描いた。F50号、大作としては最初の人物画。ケントスでは水割りしか飲まない私たちにも気さくに話しかけてくれる美人で優しいあやさんを夢中になって描いた。
絵が7割くらい完成した2008年6月、あやさんが以前ケントスにいた男性メインボーカルのシゲちゃんと結婚して8月末で引退すると知り、完成を急ぐ。引退の前日8月30日にF50号のあやさんの絵をケントスに持っていき、来ていたお客さんに披露した。絵と共にあやさんと「フルハウス」のバンドメンバーと記念写真を撮影、この絵をきっかけにF100号、F80号の「フルハウス」の大作を描き始めることとなる。
2012年、たまたま夜中の0時頃にNHKの「ロックの学園」で東北の大学の学園祭に参加していたアイドルグループを観ると、娘さんたちのはちきれそうな若さや躍動感に圧倒された。私はそれまで、ライブハウス「静岡ケントス」のレギュラーバンド「フルハウス」の絵を二科展に3回出品し入選していたが、テレビの画面を描いた作品では「二科展で認めてもらえないのでは?」と心配し「静岡ケントス」の作品3枚(F100号、F80号2枚)と共に1枚(F100号)だけアイドルグループが躍動する絵を出展してみたところ、この絵が入選。「これはいい、これで。」会員の先生方が励ましてくださり、アイドルグループの絵を何枚も描き始めるきっかけとなった。
その後4年間で、憧れのステージに立つ喜びがあふれたアイドルグループの作品を10点制作。毎年F80号~F100号の大作を3~4点出展し4回連続で入選。
しかしそんな折、今度はアイドルグループの一員になるべく「絶対にアイドルになるんだ。」という信念を持って悔し涙を流しながらオーディションに挑戦している少女たちをテレビから発見した。自分の夢のためにここまでやるのか、私は衝撃を感じた。またもや「これを絵にしたい」という誘惑にかられ、F100号2枚でオーディションに挑戦する少女たち、F80号2枚で今までのアイドルを描き計4枚を出展すると、オーディションに挑戦する少女たちの絵が1点入選した。
9月に二科展入選を果たした余韻に浸っている暇もなく、10月はじめにまたも衝撃的で感動的な映像が私の目に入ってきた。大人の世界へと旅立っていく18歳の若者が千人で大合唱している姿。思わず「絵にしたい」と翌2019年の二科展に向けて絵筆をとり始めた。引きこもりや不登校経験がある子、自分の夢がなかなか見つからない子、将来の夢や目的をはっきり持っている子。涙を流し、時にこぶしを握り締め、満面の笑みを浮かべながら千人近くの18歳の若者たちが大合唱。これから成人となっていく自分たちの過去を振り返り、未来に向けて旅立っていく姿に感動し、思わず絵筆をとった。純粋な子どもたちのひたむきな姿に感動し、同シリーズで4点(F100号2枚、F80号2枚)を出展するとF100号の「旅立ちのうた・決意」(本書表紙作品)が入選。
2020年はコロナウイルス大流行で、第105回記念二科展は翌年(2021年)に延期。2019年の第104回二科展で「旅立ちのうた・決意」が入選した後、同年11月頃から「旅立ちのうた」シリーズの制作を続ける。若者たちの懸命に歌う姿に楽器を加え、一人ひとりの大合唱に参加した背景を表現しようと思い、6作品(F100号4枚、F80号2枚)を制作、延期になっていた第105回記念二科展に応募した。 結果、永年の夢だった、特選に2作品(F100号「旅立ちのうた・一歩ずつ」、F100号「旅立ちのうた・門出」)が受賞した。嬉しかった、心の中は爆発していた。
ライブのバンドマン、アイドル、アイドルを目指す少女たち、18歳の若者など、純粋でまっすぐに生きようとしている姿を絵にしたいと思う。